OMEGA:荻原次晴さんオリンピックレポート/後編
前編はこちら/
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『OMEGA Presents荻原次晴さん オリンピックレポート』と題するイベントに登場した、元ノルディック複合日本代表で、現在はスポーツキャスターとして活躍する荻原さんが、エキサイトismユーザーのために、特別にインタビューに応じてくれました。
「僕にとってのオリンピックは、成長を促す大切で大きな〈場〉となりました。自己の実現であると同時に、みんなの期待を乗せて戦うことになり、今回の北京五輪、フェンシングで銀メダリストとなった太田雄貴選手らも、こうした観点から私人から公人となるわけです」
「そういえば、僕のごく親しい身内に、ゴールドメダリスト(1992年・アルベールビル、1994年・リレハンメルの冬季オリンピック2大会連覇した兄の荻原健司さん)がいます(笑)。彼は期待され、金を取って当たり前という大きなプレッシャーのなか戦い抜きました。兄がメダルを取ったことで、マイナーに見られていた競技自体もメジャーに。世界一だからこそ、脚光を浴びたわけです。今回のフェンシングにしても、太田選手がメダルを取ったことで大きな注目を集めました。
ですが、五輪という大舞台で本領を発揮することは、並大抵のことではないんです。僕もそうでしたが、日々努力して、やっと世界の檜舞台にたどり着いた瞬間に、〈なぜ、こんなところに来ちゃったのだろう〉と、おそらくみんな思うはずです。これが五輪の魔物なんですね。このようなプレッシャーに押しつぶされて、練習では当たり前にできていたことができなくなってしまうようなケースさえ目の当たりにしました」
このように荻原氏は、ご自身にとってのオリンピックについてや意義についても語ってくれました。
そんな荻原さんの〈時計観〉については、トークショーでも述べたとおり、「僕がきょう、着けているオメガの機械式クロノグラフですが、きっと105歳まで使い続けることができるしょう。メンテナンスをきちんとすれば、人間の寿命よりも遙かに長く、数百年間だいじょうぶなはず。ロマンがあります。初期投資としては高価な買い物だと感じても、いい機械式時計を買うことはけっして無駄なことではないんです」と話してくれました。
■荻原 次晴(スポーツキャスター)
幼少の頃から双子の兄 健司と共にスキーを始め、ノルディック複合で日本を代表する選手となる。1994年からワールドカップに参戦。1998年長野オリンピックでは個人6位、団体5位と入賞を果たす。現在は、スポーツキャスターとして活躍すると同時に、ウインタースポーツ普及をライフワークとし、メディアや講演などの活動を行っている。オリンピックデーランのアンバサダー、日本ノルディックフィットネス協会のアンバサダーも務める。
北京五輪では、日本テレビ『ズームインスーパー』にてオリンピックキャスターを務める。